宮崎県 神社 高鍋藩 立磐神社 美々津町 [◆ 宮崎県 神社]
『日向市美々津町 立磐神社』
立磐神社はこの時航海の安全を祈念されており、この埠頭には
海上守護神である底筒男命、中筒男命、表筒男命の
三柱の大神を奉斎しました。
第十二代景行天皇の御代に創祀されたと伝えられました。
永禄の頃(1558~1570)より地頭の崇敬があり
祭礼神事行事も整っていて、殷盛となっていました。
しかし、天正六年(1578)に至り大友氏との
耳川の合戦の為戦火にかかり、宝物貴重なる
文献記録等烏有に帰した。
棟札によれば元和六年(1623)、寛文八年(1668)、
宝永二年(1705)、享保九年(1728)、
享和九年(1903)に再興されました。
高鍋藩秋月氏の崇敬も厚く、貞享三年の「高鍋藩寺社帳」によれば
神領七石五斗を有していたとあり、その後も神事ある毎に
寄進を受けていました。
さらに、境内には神武天皇御腰掛岩があり、今もご聖蹟として
崇拝しています。
場所は、美々津町にある耳川の河口沿いにあります。
近くには、高鍋藩だった頃の城下町がありますよ。
立磐神社はこの時航海の安全を祈念されており、この埠頭には
海上守護神である底筒男命、中筒男命、表筒男命の
三柱の大神を奉斎しました。
第十二代景行天皇の御代に創祀されたと伝えられました。
永禄の頃(1558~1570)より地頭の崇敬があり
祭礼神事行事も整っていて、殷盛となっていました。
しかし、天正六年(1578)に至り大友氏との
耳川の合戦の為戦火にかかり、宝物貴重なる
文献記録等烏有に帰した。
棟札によれば元和六年(1623)、寛文八年(1668)、
宝永二年(1705)、享保九年(1728)、
享和九年(1903)に再興されました。
高鍋藩秋月氏の崇敬も厚く、貞享三年の「高鍋藩寺社帳」によれば
神領七石五斗を有していたとあり、その後も神事ある毎に
寄進を受けていました。
さらに、境内には神武天皇御腰掛岩があり、今もご聖蹟として
崇拝しています。
場所は、美々津町にある耳川の河口沿いにあります。
近くには、高鍋藩だった頃の城下町がありますよ。
2015-01-21 20:29
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