SSブログ

宮崎県 歴史 藩校 高鍋藩 明倫堂 [◆ 宮崎県 歴史]


takanabe01-72559.jpg

『宮崎県 歴史 藩校 高鍋藩 明倫堂 』

高鍋藩は、日向国に存在した藩なのです。

藩領は、現在の宮崎県児湯郡の東部(高鍋町、川南町、木城町、都農町、日向市の美々津)と

串間市、宮崎市(瓜生野・倉岡の一部)、国富町(木脇)でした。

藩庁は高鍋城です。

その高鍋藩の藩校は明倫堂で、高鍋藩の第7代藩主の秋月種茂が設立しました。

_20170507_170207.JPG
『秋月種茂・銅像』


【明倫堂について】

m__20160610_164404-1.JPG

7代藩主・秋月種茂が儒官・千手興欽の進言に基づき

安永7年2月24日(1778年)に設立した。

その明倫堂は、藩士のみならず農民等の一般庶民にも入学させたのを

最大の特徴なのです。

5代藩主・秋月種弘の時に学問・武芸の稽古所があった高鍋城三の丸

(現在は宮崎県立高鍋農業高等学校の一部)に位置し、従来からの

武芸稽古所と併設して、藩士の子弟に文武を兼学させたのでした。

_20170507_165714.JPG
「高鍋城三の丸・宮崎県立高鍋農業高等学校の一部」

小学と大学に分れ、それぞれを行習斎、著察斎と呼んでいました。

行習斎には8~9歳で入学し、孝経、大学、論語などの素読や、孝経

小学内外篇の講義、礼式、書道、数学を学んだのでした。


1869年(明治2年)には国学科が設けられ、玉鉾百首や神代正語

万葉集などが教えられた。

1873年(明治6年)に廃止され、その後は高鍋島田学校を経て1887年には

現在の宮崎県児湯郡高鍋町立高鍋東小学校となったのです。

明倫堂の書庫は土蔵造で、現在は高鍋町立高鍋図書館構内に

蔵書とともに改築されている。

c0129599_113816.jpg


なお、明倫堂に関連して「高鍋で学者ぶるな」という諺が日向国内にあったのでした。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。