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宮崎県 歴史 高鍋町 高鍋城址 [◆ 宮崎県 歴史]

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『高鍋城址の歴史』


元々は、財部城(たからべじょう)といわれたのです。

秋月氏が居城となってから高鍋城に改め、城の形から鶴が羽ばたく姿に

似ていることで舞鶴城ともいいます。

現在は舞鶴城跡となり、公園として整備されて「舞鶴公園」になっています。

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舞鶴公園 (640x480).jpg

平安時代後期に財部(現・高鍋)の士豪であった土持氏の所有となり、

以後およそ6百年に渡り、代々土持氏の居城でありました。


その後、城主は伊東氏、島津氏となり、1587年(天正15)には豊臣秀吉の

九州征伐後には、筑前国から秋月種実が日向国の串間へ移封になりました。

そして、串間から高鍋(旧・財部)へと移封されて秋月氏の領地となり、

高鍋城は秋月氏の持ち城になりました。


秋月種長が高鍋城の初代藩主となり、高鍋藩2万7千石で明治の廃藩に

至るまで続きました。

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