高鍋町 灯籠まつり 2018 [◆ 高鍋町]
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『高鍋町 灯籠まつり 2018』
宮崎県にある高鍋城址の舞鶴公園とその周辺を会場に、約1万基の石灯籠や
竹灯籠に火を灯す「高鍋城灯籠まつり」が10月6日・7日の2日間
開催されます。
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高鍋の地を治めた名君・秋月種茂公が設立した藩校・明倫堂の教えである
“人の道”を広く育む想いも込められています。
当日は灯籠の創作コンテストのほか、さまざまなイベントを実施。
1日目は物産展や、秋月種樹の邸宅を復元した「萬歳亭はなれ」で茶会
公園前の県道を 歩行者天国にした町民総踊りなどが行われます。
16時からは灯籠の点灯式が行われ、県指定民俗文化財である高鍋神楽が舞われます。
【開催期間】
2018年10月6日(土)・10月7日(日)
【開催時間】
10月6日(土)15時~21時 10月7日(日)11時~21時
【第1回餃子フェスin高鍋】
今年から、灯籠まつりに合わせて、「餃子のまち高鍋」は第1回餃子フェスin高鍋を
会場内で開催します。
出店者は、高鍋町内の餃子店以外にも宮崎市や三股町、全国的に餃子で
有名な宇都宮市や北九州市からも駆けつけ、全部で12店舗の餃子たちが
集います。
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高鍋町 ひまわり祭り 2018年 [◆ 高鍋町]
高鍋町 複合施設 ママンマルシェ [◆ 高鍋町]
高鍋町 歴史 土持墓地 [◆ 高鍋町]

『土持墓地』
土持墓地の場所は、県道44号線の下大平寺バス停で出車をしてから
北西へ約300メートルに登った右斜面に大平寺(廃仏殿釈)墓地があり
その一隅に土持墓地があります。
土持氏は、9世紀半ばから支配下した古代以来の豪族として
日向国内に勢力をのばしました。
その土持氏は、平安時代末期から戦国時代前期にかけて
日向国北部を中心に勢力を有した一族。
現在の延岡市近辺を中心とした縣(あがた)の土持氏と現在の高鍋町付近を
活躍の場とした財部(たからべ)の土持氏が有力であった。

土持氏の墓は、1926(大正15)年に郷土史家岩村真鉄により発見されて
1ヵ所に集められたのです。
高鍋町では、もっとも古い墓であります。
城内の墓石は31基でありますが、そのうちの6基が土持氏一族の墓でして
うち2基には土持兼綱・土持高綱の碑銘があります。
高鍋町美術館 イベント 書業40年 松田幸敏の世界展 [◆ 高鍋町]
高鍋町 高鍋藩 藩校 明倫堂 [◆ 高鍋町]
『高鍋藩 藩校 明倫堂』
【藩校・明倫堂の設立】
日向国高鍋藩の7代藩主・秋月種茂が儒官・千手興欽の進言に基づき
安永7年2月24日(1778年)に設立した。
藩士のみならず農民等の一般庶民にも入学させたのを最大の特徴とする。
5代藩主・秋月種弘の時に学問・武芸の稽古所があった高鍋城
三の丸(現在は宮崎県立高鍋農業高等学校の一部)に位置し
従来からの武芸稽古所と併設して藩士の子弟に
文武を兼学させた。
「高鍋農業高校内」
小学と大学に分れ、それぞれを行習斎、著察斎と呼んでいた。
行習斎には8~9歳で入学し、孝経、大学、論語などの素読や
孝経、小学内外篇の講義、礼式、書道、数学を学んだ。
行習斎を修了して進む著察斎では各自で講読または会読を行い
教授への質疑や典籍の科目は自由であった。
嘉永年間初頭に医学所が設けられたが、教授が多忙のため中止され
1870年(明治3年)に再開している。
1869年(明治2年)には国学科が設けられ、玉鉾百首や神代正語
万葉集などが教えられた。
1873年(明治6年)に廃止され、その後は高鍋島田学校を経て
1887年には現在の宮崎県児湯郡高鍋町立高鍋東小学校となった。
明倫堂の書庫は土蔵造で、現在は高鍋町立高鍋図書館構内に
蔵書とともに改築されている。
宮崎県 高鍋町 武家屋敷 城下町 [◆ 高鍋町]
『高鍋町 城下町 武家屋敷』
宮崎県の城下町といえば、日南市の飫肥を思うのですが
もう一つは、高鍋町も城下町なのです。
高鍋城はありましたが、明治時代になり廃城となりました。
よって、城址となり、現在は舞鶴公園として整備されたのです。
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高鍋城(舞鶴城)は、かつては財部(たからべ)城といって
城主の秋月家がその財部城を居城して
今の高鍋と改称されたのです。
藩政時代には、3万石の城下町として栄えたのです。
学問と教育では、7代藩主・秋月種茂公が藩校「明倫堂」を設立して
偉大な輩出致しました。
町内の「武家屋敷通り」は、16世紀後半から町並みとして
整備されました。
武家屋敷も残っており、城址周辺には古い町並みがあるのです。