高鍋町 歴史 土持墓地 [◆ 高鍋町]
『土持墓地』
土持墓地の場所は、県道44号線の下大平寺バス停で出車をしてから
北西へ約300メートルに登った右斜面に大平寺(廃仏殿釈)墓地があり
その一隅に土持墓地があります。
土持氏は、9世紀半ばから支配下した古代以来の豪族として
日向国内に勢力をのばしました。
その土持氏は、平安時代末期から戦国時代前期にかけて
日向国北部を中心に勢力を有した一族。
現在の延岡市近辺を中心とした縣(あがた)の土持氏と現在の高鍋町付近を
活躍の場とした財部(たからべ)の土持氏が有力であった。
土持氏の墓は、1926(大正15)年に郷土史家岩村真鉄により発見されて
1ヵ所に集められたのです。
高鍋町では、もっとも古い墓であります。
城内の墓石は31基でありますが、そのうちの6基が土持氏一族の墓でして
うち2基には土持兼綱・土持高綱の碑銘があります。