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宮崎県 歴史 宮崎城 城跡 [◆ 宮崎県 歴史]

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『宮崎県 歴史 宮崎城』

宮崎県内でお城と言えば、日南市の飫肥城、延岡市の延岡城(縣城)

高鍋町のい高鍋城(舞鶴城)、宮崎市佐土原町の佐土原城(松鶴城)

西都市の都於郡城などがあります。

宮崎県池内町の一帯にあったと言われる日本の城(山城)である。

1335年(建武2年)もしくは1336年(延元元年)築城。

南朝方勢力だった図師六郎入道隋円・慈円父子が築いた。

別名「池内城」。

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【歴 史】

宮崎城は、図師六郎入道慈円が南朝方に応じて挙兵した際に建てられた後

北朝方の土持宣栄によって攻められて落城した。

その後は土持氏の持城だったが、1446年(文安4年)に伊東祐堯が攻略して

家臣落合彦左衛門を城主とし、伊東四十八城の一つに位置づけられた。

1536年(天文5年)には伊東氏当主・伊東義祐(三位入道)が佐土原城が

火災で焼けてしまったため、居城を移した。

飫肥城攻略の重要な戦略基地として機能した。

1577年(天正5年)の伊東氏没落後は島津氏の持城となり

上井覚兼が城主を務めたと言われる。

1587年(天正15年)豊臣秀吉の九州征伐後、延岡城主高橋元種の所領となり

権藤種盛が城代となった。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで高橋氏は豊臣方に与した為

徳川家康に与した伊東氏家老・稲津掃部助によって攻められ落城した。

しかし、高橋元種は美濃国大垣城攻めの際に徳川方に寝返り

本領安堵となっていたため、翌1601年(慶長6年)に

宮崎城は高橋氏に返還された。

元和元年の一国一城令によって廃城となった。

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