宮崎県 偉人 高木兼寛 ビタミンの父 [◆ 宮崎県 偉人]
『ビタミンの父 高木兼寛』
脚気の治療法を研究した“ビタミンの父”
高木兼寛は、「ビタミンの父」と呼ばれています。
昔から国民病とも呼ばれていた脚気は、細菌が原因の伝染病だと
考えられていました。
しかし高木兼寛は、実際に病人を診て、その置かれた環境を調べることによって
脚気が栄養不足によって引き起こされると考えて、軍艦の乗組員の
食事を改善する実験を行います。
ところが、イギリスで臨床医学を学んだ兼寛に対して、東京大学や
陸軍を中心とする日本の医学界の主流は
研究至上主義のドイツ医学でした。
彼らは兼寛の栄養説を真っ向から否定します。
後に兼寛の研究はビタミンの発見につながり、脚気はビタミンBの欠乏で
発症することが証明されます。
このことから、高木兼寛は「ビタミンの父」と呼ばれるようになるのです。
「英国留学中の高木兼寛」
【 医学だけじゃない、多方面に才能発揮の“マルチチャネラー” 】
そして、医学だけではなく語学はもちろんのこと、軍人(海軍軍医総監)
経済人(帝国生命保険会社創設)、経営者(病院や医学校の経営)
教育者(成医会講習所など)、政治家(貴族院議員など)
開拓者(北海道夕張郡開拓事業)、芸術家(書跡の達人)
宗教家などさまざまな顔を持つ、現代で言うところの
マルチ人間だったのです。
2016-09-15 18:07
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