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宮崎県 歴史 西南の役 和田越決戦場 [◆ 宮崎県 歴史]


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『宮崎県延岡市 西南の役 和田越決戦場 』

薩摩軍と官軍が戦った最後の激戦地

宮崎県延岡市の稲葉崎村和田越で、薩摩軍と官軍が戦った最後の激戦地です。

西郷隆盛率いる薩摩軍約3千5百人は、山県有朋中将指揮する

官軍約5万人に決戦を挑みますが、物量に勝る官軍の攻撃に

耐えられず、北川方面に敗走しました。

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その後薩摩軍は高千穂や神門などを経由して鹿児島に戻りましたが

西郷たちは鹿児島の城山で自刃し、西南の役は終結しました。

【西南戦争和田越決戦記】

西郷南洲延岡入り

明治10年2月鹿児島を発した薩軍は、熊本城攻めの植木・田原坂の激戦に敗れて

矢部に退き、人吉・宮崎・都農を経て、8月2日大貫の山内善吉家に

南洲翁は初めて延岡入りをして宿陣した。

10日原時行邸に宿陣、11日北川に於いて舟中露臥、12日熊田の

吉祥寺に宿陣13,14日は笹首小野彦治家に宿陣し

軍議を重ね15日未明北川を舟で下り

和田越戦場に向かった。


延岡陥落

8月14日各戦場より退却した薩軍は延岡に集結したが、政府軍の包囲攻撃を受け

和田越稜線に退き、明日の決戦に備えて布陣した。

延岡隊もこの日野田において降伏し、奇兵隊進駐以来の

延岡はついに陥落した。



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