宮崎県 歴史 美々津町 高鍋藩 [◆ 宮崎県 歴史]
『日向市美々津町の歴史』
江戸時代、美々津町は高鍋藩の藩土であり、耳川の河口には
港があり参勤交代の船乗り場として利用しました。
日向灘を望む高台には、藩主が船待ちをする御仮屋がおかれていました。
美々津の港町として繁栄を支えたのは千石船を有した
廻船問屋たちでした。
備後屋、明石屋、播磨屋、泉屋などといった、取引のあった瀬戸内や
畿内の地名を屋号にして、耳川上流の入郷地区で
生産された材木や木炭などを大坂方面に
出荷しておりました。
その帰路、関西地方の特産品や美術工芸品が数多く持ち帰られ
遠く離れた日向の地に京や大坂の文化が持ち込まれました。
その名残は、商家の虫籠窓や堅格子、床机などの町並みにも
見ることができます。
廻船問屋は、明治時代から大正時代にかけて
最盛期を迎えることになりました。
「美々津千軒」と呼ばれるほどの多くの商家が軒を連ねます。
廃藩置県後の明治4年、細分化されていた府県の統合がなされ
延岡県(旧延岡藩)高鍋県(旧高鍋藩)佐土原県(旧佐土原藩)。
そして人吉県椎葉地方4村が合併して、美々津県が誕生します。
明治初期において、美々津には、宮崎県北部地域の中心地になりうる
立地条件が備わっていたことを示していたのでした。
2016-06-27 21:21
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