宮崎県指定文化財 日向市 黒田の家臣 [◆ 宮崎県 観光]
『黒田の家臣 日向市』
黒田の家臣 幕末勤王家 海賀宮門外二士の墓
県指定史跡 (指定年月日 昭和9年4月19日)
文久二年(1862)、京都伏見の船宿 寺田屋で薩摩藩藩主
島津久光が進める公武合体に反発する尊皇攘夷派と
それを抑えようと公武合体派内争がありました。
最終的には尊皇攘夷派の志士が投降、生き残った
薩摩藩士は送還、志士の中には他藩の者もおり
引き取り先の無い他藩の浪士達は薩摩藩
預かりとなりました。
薩摩に護送される途中、5月4日、細島の「小嶋ノ磯」
(正法寺年中日誌)で、筑前秋月の黒田藩士の
海賀宮門、肥前高原の中村主計
但馬気多郡の千葉郁太郎の
三士は、惨殺されました。
遺体を発見した細島の人々は、勤王の志が厚かった
三人の死を心から悼み墓碑を建てて
その霊を弔りました。
「黒田家臣」と親しみを込めて呼ばれるのは
こうした歴史と地元民の人柄によるものです。
黒田の家臣とは、細島港から岬の先端「馬ヶ背」に
行く途中にあります。
左折して坂を下りてゆくと突き当たりに駐車場があり
小さな島まで歩いて渡って行けます。
2016-03-20 21:18
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