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宮崎県 歴史 新富町 江戸時代 高鍋藩 [◆ 宮崎県 歴史]


『新富町 江戸時代 高鍋藩』

新富町は、江戸時代には現在の大字日置・三納代が高鍋藩、大字上富田

下富田・新田・伊倉が佐土原藩の領域でした。

高鍋藩は1万石で秋月氏という元は福岡県甘木市一帯を支配した

大名が転封により入城したました。


新富町域での江戸時代の名残は湖水ケ池における水請や水神信仰が有名です。

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飢饉などの恐れのある渇水が起こる時は藩主自らが湖水ケ池に

水請の祈祷をたびたび行っております。

この池には、高鍋藩の第7代藩主秋月種茂によって大和地方から

輸入されたとされるレンコンの栽培が有名で

現在でも町の名物となっています。


【秋月種茂】

日向国高鍋藩の第7代藩主で、第6代藩主・秋月種美の長男。

母は筑前秋月藩主、黒田長貞の娘、春姫。名君と呼ばれた

米沢藩主上杉鷹山の兄に当たります。

高鍋藩の「明倫堂」という藩校の創設者なのです。





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