宮崎県 いいところ 師走祭り 百済王伝説 [◆ 宮崎県いいところ]
『百済王 師走祭り』
今月の22・23・24日の3日間「師走祭り」が行われました。
師走祭りとは、旧暦12月14日から同16日に当たる日程(昭和10年代までは
9泊10日間の日程で行われていた)で、比木神社(児湯郡木城町鎮座)の一行が
フクロガミ(袋神、花笠ともいう)を奉じて、延々約23里におよぶ
決まりの道を神門神社(東臼杵郡南郷村鎮座)まで巡行し
そこに滞在して帰る祭りです。
それには往古、異国神(百済王の一族)がこの地に定着したとする
由来伝説が語り継がれています。
【百済王伝説とは・・・】
昔、百済の国において大乱が起こり、禎嘉王(ていかおう)と、その子の
福智王(ふくちおう)とが乱を避けて
女官・従者と共に日本へ渡った。
彼らは日向の国の小丸川の河口、現在の高鍋町の蚊口浦に上陸する。
禎嘉王は小丸川の上流、現在の南郷村の神門(みかど)に居を定め
王子の福智王は下流の現在の木城町の比木(ひき)に住む。
しかし、まもなく、追っ手がかかり、禎嘉王は現在の東郷町の伊佐賀で防ぐが
矢を受けて戦死する。
いま、南郷村の神門神社には禎嘉王を祀り、木城町の比木神社には福智王を祀る。
なお、小丸川河口の高鍋町の鴫野にある大年神社は、禎嘉王の妻にして
福智王の母なる之伎野(しぎの)を祀ると云う。
【比木神社】
高鍋藩の秋月歴代藩主より深く崇められ、社殿改築、鳥居の建立等
寄進奉納されている。
西暦660年朝鮮半島の百済が、唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされ
663年百済再興の戦いにも破れ、多くの王族
部族は日本の畿内へと亡命しました。
なかでも王族のひとり福智王は、現在の高鍋町蚊口浦に
流れ着いたといわれています。
福智王は百済からの追兵を鎮定後、よくこの地方を治めたので住民の尊崇をうけ
死後に比木神社に葬られました。それが比木大明神のいわれです。
【神門神社】
神門神社(みかどじんじゃ)は、宮崎県東臼杵郡美郷町にある神社。
祭神は大山祇神、百済の禎嘉王、倉稲魂命、品陀和気命(応神天皇)ほか。
本殿は国の重要文化財に指定されている。
『神門神社縁起』によると、奈良時代中期の孝謙天皇天平勝宝八歳(756年)、
660年に滅亡したはずの百済より政争を逃れたという王族の禎嘉王と
その子の福智王が日向の海岸に漂着し、やがて禎嘉帝は
神門の地に落ち着きました。
2016-01-23 18:05
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