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高鍋町 歴史 日向国高鍋藩 [◆ 高鍋町]


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『高鍋町・日向国高鍋藩』

宮崎県の高鍋町は、江戸時代まで高鍋藩(たかなべはん)は

日向国に存在した藩でした。

現在の宮崎県児湯郡の東部(高鍋町、川南町、木城町、都農町、日向市の美々津)と

串間市、宮崎市(瓜生野・倉岡の一部)、国富町(木脇)を領有していた。

藩庁は高鍋城(宮崎県児湯郡高鍋町)。

高鍋は初期、財部と呼ばれていたため財部藩(たからべはん)とも称します。

真上から見て、鶴が羽ばたく姿に似てることから「舞鶴城」とも呼びます。

明治時代には廃城となり、舞鶴公園として整備されたのでした。


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「秋月墓地」


【概 要】

秋月氏はもともと筑前国を領していたが、豊臣秀吉の九州征伐のとき、時の当主・秋月種実が

島津氏に与して抵抗し、のちに秀吉に恭順しました。

これにより日向国串間3万石に移封されたのです。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いのとき、秋月種長は西軍に与して大垣城を守備していたが

9月15日の関ヶ原本戦で西軍が壊滅すると、いち早く東軍に寝返って大垣城にあった

西軍の諸将を殺害して開城したため、所領を安堵されたのです。

その後、1604年(慶長9年)居城を財部城(高鍋城)に移し、正確にはこの時点より

高鍋藩が成立いたしました。




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