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宮崎県いいところ 歴史 百済王伝説 [◆ 宮崎県いいところ]

『百済王伝説』

宮崎県にも、百済王にまつわる不思議な伝説が残り、地元の人たちによって

根強く語り継がれ、今も祭が絶えることなく続けております。

百済の国において大乱が起こり、禎嘉王(ていかおう)と、その子の福智王(ふくちおう)が、

乱を避けて、女官・従者と共に日本へ渡ったのです。

比木神社.jpg
                「比木神社」

彼らは日向の国の小丸川の河口、現在の高鍋町の蚊口浦に上陸しました。

禎嘉王は小丸川の上流、現在の南郷村の神門(みかど)に居を定め、王子の福智王は

現在の木城町の比木(ひき)に住んだのです。


しかし、追っ手がかかり、禎嘉王は現在の東郷町の伊佐賀で防ぐが、

矢を受けて戦死するのです。

現在、南郷村の神門神社には禎嘉王を祀り、木城町の比木神社には

福智王を祀るのです。

神門神社.jpg
               「神門神社」

なお、小丸川河口の高鍋町の鴫野にある大年神社は、禎嘉王の妻にして

福智王の母なる之伎野(しぎの)を祀るといわれています。


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